大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成9年(ワ)13269号 判決

原告(反訴被告、以下「原告」という。)

甲花子

右訴訟代理人弁護士

加島宏

田中稔子

被告(反訴原告、以下「被告」という。)

ハイデンタル・ジャパン株式会社

右代表者代表取締役

乙山太郎

右訴訟代理人弁護士

上杉一美

主文

一  被告は、原告に対し、九一万七四二二円及び内八一万七四二二円に対する平成八年五月二六日から、内一〇万円に対する同年七月一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告は、被告に対し、一〇万三七〇〇円を支払え。

三  原告のその余の請求及び被告のその余の反訴請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

(本訴)

被告は、原告に対し、二五二万二七五五円及び内一〇二万二七五五円に対する平成八年五月二六日から、内一五〇万円に対する同年七月一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(反訴)

原告は、被告に対し、二三万三〇九二円を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の従業員であった原告が、被告に対し、未払賃金及び被告代表者のセクシャル・ハラスメント(以下、略して「セクハラ」ともいう。)及びいじめ等による損害賠償として慰謝料の支払を求めた(本訴)のに対し、被告が、原告は、被告を退職して独立したのであるからそれ以降の賃金を支払う義務がなく、また、被告代表者がセクシャル・ハラスメントを行った事実はないとしてこれを争うとともに、被告が、原告の独立後原告に売却した商品代金の支払を求めた(反訴)事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、平成七年一〇月二日、英語の翻訳及び貿易の担当として被告に雇用された。給与は月額二五万円(毎月二〇日締め)との約束であった。

2  原告は、平成七年一二月一二日ころ、被告代表者乙山太郎(以下「乙山」という。)とともに上海に行き、同月二〇日以降、単身上海において、被告の歯科材料の販売を行った(これが、被告の従業員として行ったものか、独立事業者として行ったものかについては、争いがある。)。

二  本訴に関する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 未払賃金

(1) 被告は、原告に対し、平成七年一一月ころ、上海駐在を命じた。上海駐在中の雇用条件は、次のとおりであった。

ア 期間は当面六か月とする。

イ 原告には、六か月間、事務所の家賃五万円等の経費を含め、給料として月額二二万円を支給し、毎月二五日にこれを支払う。

ウ 原告は、被告の指示に従い、営業日誌、売上と経費の出入り、営業先、面談した人物等を詳細に具体的に報告し、売上帳、売掛一覧表、経費帳等を毎月ファックスで報告すること

(2) 原告は、同年一二月、乙山とともに上海に渡り、同所における現地法人(上海強運歯材有限公司)の設立等の手続を行った。その後、原告は上海に残り、同月二〇日より、被告商品の販売活動を開始した。

原告と被告は、一二月分の給料については、同月一九日までは日本からの出張扱いとして月額二五万円の割合による給料を支給し、同月二〇日からは上海駐在の月額二二万円の給料を支払うことで合意した。

(3) しかしながら、被告は、同年一二月分の給料のうち、同月一一日から一九日までの七万円を支払わなかったうえに、さらに中国法人の事務所設立費用名目で六万円、経費精算不足分名目で一万二七五五円をそれぞれ天引きして支払わなかった。

また、被告は、同年二月分以降の給料を全く支払っていない。

(二) 乙山による不法行為

(1) セクシャル・ハラスメント及びそれに関連する嫌がらせ

ア 原告は、平成七年一〇月二三日から同月二八日まで、乙山と二人で香港に出張した。その際、出張先のホテルにおいて、乙山は、自分の部屋に備え付けてあるセイフティボックスの使い方がよく分からないと言っては、外出先から帰った夕方、いちいち原告を部屋に呼び寄せ、セイフティボックスを開閉させたが、その際、乙山は、原告の面前でズボンを下げ、キャッシュベルト(防犯ベルト)の中から金やパスポートを出し、原告が抗議してもやめなかった。

乙山は、原告が右セクハラ行為を咎めたことに対する報復として、香港から帰るやいなや、原告に対し、時給八〇〇円での倉庫業務を命じるという嫌がらせをした。

イ 乙山は、原告と上海に滞在中であった平成七年一二月ころ、営業訪問終了後、滞在中のホテルの部屋において原告と二人になった際、原告に対し、「デン研の社長が中国人の女性を事務員として雇用している。その女性はデン研の社長の女と違うか。」等と言いながら、ベッドに横になり、ベッドの半分空いているところを手で叩き、原告に対し、ここに横になれという仕草をした。

ウ 乙山は、原告と上海に滞在中であった右同月ころ、顧客を夕食に招待した席で、「甲さん、昨晩あなたはどうやって私の部屋に入ってきましたか。」と回りに聞こえるような声で言い、原告を困惑させた。

(2) 上海での営業活動に関するいじめ

ア 乙山は、原告が定住者ビザの更新のため一時帰国した平成八年一月ころ、原告に対し、当初の条件にはなかった商品代金の支払やノルマ達成義務を原告に課する内容の新しい契約書を示し、これに署名するように要求した。

イ 乙山は、原告が上海における営業活動を再開した同年二月以降、商品代金を前もって日本円で支払うことを要求し、被告の給料以外に日本円の収入のなかった原告を困惑させ、ようやく原告が商品代金を支払うと、商品を送らず、また、原告が開拓した得意先を理由もなく拒否するなどした。

ウ 原告は、平成八年四月ころ、上海での事務の一部を母に任せて帰国し、被告に出勤して、上海で受注した商品の代金を被告に支払って商品を受け取り、これを納期に間に合うように上海に送ってもらう方法で勤務を開始したが、被告は、間違った商品を供給するなどのトラブルをたびたび引き起こした。

(3) 原告の受けた損害及び被告の責任

ア 原告は、乙山によるセクハラ及びこれに関連する嫌がらせ、上海での営業活動に関するいじめにより、心身ともに疲れ果て、平成八年一月又は二月ころ、通勤中の電車の中で倒れたほか、同年六月には、強いストレスが原因の子宮内膜症と診断された。

イ 乙山による右一連の行為は、原告に対する不法行為を構成し、被告は、右不法行為により原告が被った損害を賠償する責任がある。

原告が被った精神的、身体的苦痛に対する慰謝料は、一五〇万円が相当である。

(4) まとめ

ア 原告は、被告に対し、雇用契約に基づく賃金請求権に基づき、平成七年一二月分の未払賃金計一四万二七五五円及び同年二月分から五月分までの未払賃金八八万円並びにこれらに対する最も遅い弁済期である同年五月二五日の翌日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求める。

イ 原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、一五〇万円及びこれに対する不法行為の日以降の日であることが明らかな平成八年七月一日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求める。

2  被告の主張

(一) 未払賃金について

(1) 平成七年一二月分の未払賃金について

被告は、原告の入社以来の仕事ぶりを観察した結果、正社員として期待できないとの結論に至り、パート勤務又は中国で独立開業して被告の製品を販売することを提案したところ、原告が独立開業を希望したため、原告は、同年一二月一一日をもって被告を退職した。

したがって、被告は、原告に対し、同月一二日以降の賃金を支払う義務はない。

(2) 同月分から差し引いた六万円及び一万二七五五円について

被告は、原告に対し、同月一七日ころ、原告が上海に設立する法人の設立費用として六万円を貸し渡し、これを同年一二月分の給料から返済を受けた。

また、被告は、原告が独立開業のため同月一二日に渡中した際、これを支援するため、乙山が同行したが、その際、原告に対し、雑費として五万円を交付した。その後、原告から、費消した雑費の内容を記載したメモと共に、残金を受け取り、被告において清算したところ、一万二七五五円が不足していることが判明したため、同年一二月分の給料から差し引いて返還を受けた。

(3) 平成八年二月分以降の未払賃金について

原告は、平成七年一二月一一日をもって退職したのであるから、それ以降の賃金の請求は理由がない。なお、被告は、原告に対し、平成八年二月九日に一八万円を支払ったが、これは、原告との間で一か月二二万円以上を売り上げた場合に二二万円の広告宣伝費を支払う契約を締結する予定であったところ、原告から、生活費として必要であると懇請され、売上げが二二万円に達していなかったにもかかわらず、売掛金四万円を控除したうえで支払ったものであって、給料ではない。

(二) 乙山によるセクハラ及びこれに関連する嫌がらせについて

(1) 乙山は、原告と香港に出張した際、自室で、ズボンのベルトをゆるめ、キャッシュベルトを取り出したことが一度あるが、原告の後ろ側で行ったので、原告に不愉快な思いをさせたことはないし、原告から抗議されたこともない。帰国後、被告は、原告に対し注文商品の品揃え係を命じたが、これは、原告の独立開業に備えた研修として命じたものである。

(2) 乙山が、原告と上海に滞在中、ホテルの部屋で原告をベッドに誘った事実はない。

(3) 乙山が、原告と上海に滞在中、夕食の席で原告が指摘するような発言をした事実はない。

(三) 上海での営業活動に関する乙山のいじめについて

(1) 被告は、原告が独立開業する際、原告との間で代理店契約を締結しようとして契約書を示したが、原告はその署名を拒んでいた。そこで、原告が一時帰国した際に、新たな契約書を示したものであって、何ら嫌がらせの意図はない。

(2) 乙山が、原告が上海における営業活動を再開した平成八年二月以降、原告が指摘するような嫌がらせをした事実はない。

(3) 被告が、同年四月以降、間違った商品を供給するなどのトラブルをたびたび引き起こした事実はない。

三  反訴に関する当事者の主張

1  被告の主張

(一) 被告は、原告に対し、次のとおり被告が製造した製品を売り渡した。なお、被告は、平成八年四月一日の代理店契約締結後も、従来より原告個人との間で取引を行っていたことから、法人設立を意識することなく、原告個人との取引を続けたものである。

(1) 平成七年一二月一八日 三〇万四四八五円

(2) 平成八年一月二一日から同年二月二〇日 二一万〇一六〇円

(3) 同月二一日から同年三月二〇日 二万七七〇〇円

(4) 同月二一日から同年四月二五日 六万八七〇〇円

(5) 同月四月(ママ)二六日から同年五月二五日 三万五〇〇〇円

(以上合計六四万六〇四五円)

(二) 被告は、原告から、平成八年二月九日、平成七年一二月一八日売却分の内払として四万円の支払を受け、また、平成八年三月二一日以降平成一〇年九月八日までの間に、合計三七万二九五三円相当の商品の返品を受けた。

(三) したがって、被告は、原告に対し、二三万三〇九二円の支払を求める。

2  原告の主張

原告が、被告の主張する被告の製品を受け取ったことは認めるが、これらは、原告が購入したものではなく、原告が被告の従業員として販売するために受け取ったものである。

また、被告が内払と称するものは、被告が原告の平成八年一月分の給料から勝手に控除したものであり、返品と称するものは、被告が原告の占有を奪ったものに過ぎない。

四  争点(1、2は本訴、3は反訴についての争点である。)

1  原告が、平成七年一二月一一日をもって被告を退職したか否か。

2  乙山が、原告に対し、セクハラ行為などの嫌がらせをしたか否か。

3  被告が、原告に対し、交付した製品の代金の請求をすることができるか。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1について

1  証拠(〈証拠略〉、原告本人、被告代表者本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 乙山は、平成七年一〇月二八日に香港出張から帰国した直後ころ、原告をこのまま正社員として雇用することはできないと考え、原告に対し、パート従業員となるか、中国に駐在して被告の製品を販売するかどちらかを選ぶように告げたところ、原告は、中国に駐在して被告の製品を販売することを希望した。なお、この際、乙山は、原告に対し、中国に駐在する場合は被告を退職することになると説明したことはなかった。

そこで、乙山は、原告を販売員として上海に駐在させることを計画し、同年一一月、原告が私用で上海に滞在した際、同所で市場調査をするように命じ、三日間を出勤扱いとした。

(二) 乙山は、その後、原告が上海に滞在して被告の製品を販売するについて、現地で法人を設立し、被告の代理店としてこれを行う方式を取りたいと考え、上海に設立する法人の名称を占い師と相談して「中国高技歯科(ママ)有限公司」と決定し、看板を作成して原告に交付するとともに、原告の名前を「甲月子」に変えるよう指示した。そして、乙山は、同年一二月初めころ、原告に対し、代理店契約をその内容とする基本契約書(以下「第一回基本契約書」という。)への署名押印を求めたが、原告はこれに応じなかった。なお、被告は、上海における原告の待遇については、六か月間は無条件に月額二二万円の広告宣伝費を支払うことを約束し、第一回基本契約書にも、月額二二万円の広告宣伝費を七・五か月間支払うとの条項(第一五条)があり、これにはノルマ等の条件は付されていない。

なお、現地法人の代表者には原告が就任する予定であったが、原告が上海に籍を有していないことから、原告の母を代表者とすることとなった。

(三) 乙山は、同年一二月一二日ころ、原告を伴って上海に渡り、同月一九日まで滞在して、原告を伴って自ら持参した被告の製品を販売するための営業活動を行うとともに、同月一七日ころ、中国法人の設立手続をし、設立費用(日本円で六万円相当)を支払った。また、乙山は、原告に対し、上海の現地法人において女性事務員を一人雇うことを勧め、その給料は被告が負担する旨述べたが、原告はこれを断った。

なお、現地法人の名称は、「中国高技」の名称が使用できないことが判明したため、その後上海強運歯科(ママ)有限公司と改められた。

(四) 原告は、乙山が帰国した後、上海に残り、被告製品の販売活動を開始した。原告が平成七年一二月二〇日から平成八年一月二〇日までの間にあげた売上は、四万円であった。もっとも、原告は、被告製品を販売して得た売上金は、被告に交付することなく、これを経費に充てていた。

被告は、原告に対し、現金出納帳、売上帳、売掛一覧表、仕入帳、仕入一覧表及び営業日報を毎月被告宛に送るように命じており、被告の従業員に対して配布しているのと同一書式の営業日報を交付して、上海における営業活動の内容、訪問先等につき、詳細な報告を求め、原告もこれに従っていた。

(五) 原告は、同年一月二五日、日本滞在ビザ更新のため、一時日本に帰国したが、その際、被告は、原告に対し、再び代理店契約を内容とする基本契約書(以下「第二回基本契約書」という。)を示し、これからはノルマを達成しない限り広告宣伝費は支払えない旨説明し、署名押印を求めたが、原告はこれに応じなかった。なお、第二回基本契約書には、第一回基本契約書と異なり、毎月二二万円(平成八年五月以降は三〇万円)の売上目標を達成できないときは、被告は、広告宣伝費を支払う旨の条項を破棄することのできる規定が設けられている。

なお、原告は、日本に滞在している間、被告に出社してタイムカードも打刻していた。また、このころ、被告は、原告に対し、被告製品の総合カタログを中国語に翻訳するよう命じた。

また、被告は、同年二月一五日、原告に対し、一月分の広告宣伝費(ただし、二二万円から売掛金四万円を差し引いた一八万円)を支払った。

(六) 原告は、同年二月一六日上海に戻り、引き続き被告製品の販売活動を行っていたが、同年四月ころからは、代理店として被告製品を購入し、これを販売する方法によることもやむを得ないと考えるようになり、四月二二日ころ、再び日本に帰国し、それ以降は、原告の母が上海で注文を受け、原告が日本で被告に代金を支払って商品を受け取り、これを被告を通じて上海に送付する方法で販売活動を行うようになった。

また、被告は、このころ、原告に対し、再度代理店契約を内容とする基本契約書(同年四月一日付け、以下「第三回基本契約書」という。)を示し、署名押印を求めた。原告は、契約書の文章を理解することはできなかったが、ノルマを達成すれば二二万円が支払われることを理解したうえで、署名押印に応じた。なお、第三回基本契約書には、第二回基本契約書と同様の条項のほか、被告が交付する製品代金と広告宣伝費と相殺することができる旨の条項が付加されていた。

2(一)  以上の事実に照らせば、被告は、平成七年一一月ころ、原告に対し、パート従業員となるか中国に駐在して被告の製品を販売するかの選択を求めただけで、原告に退職を求めたことはなく、原告も中国に滞在することが被告を退職することを意味するとは考えていなかったことは明らかであるから、同年一二月一一日をもって原告が被告を退職したと認めることはできない。

確かに、同月二〇日以降は、原告に対し支払われる金銭は広告宣伝費名目となり、原告本人によれば、このことは原告も認識していたことが認められ、第一回基本契約書にも、原告が被告の代理店として被告製品を販売する旨の記載がある。また、原告は、上海滞在中、被告製品を販売して得た売上金を被告に交付することなく、これを経費に充てており、さらに、乙山は、原告を被告の代理店として独立させたいと考えていたことは明らかであり、(証拠略)によれば、原告も、原告が被告の「総代理」という立場で営業活動を行うことを認識していた形跡がある。

しかしながら、前記認定の事実に照らせば、原告の上海滞在はすべて被告の指示に基づいて計画され、実行されたというべきであって、被告が通常の代理店であれば考えられないほど多くの帳簿類や詳細な営業日報の提出を原告に要求していたことに照らしても、原告が上海に滞在して行っていた販売活動は、独立事業者として行っていたという性格は希薄であって、明らかに被告の指揮命令下において行われていたというべきであること、被告が当初支払を約した広告宣伝費は、売上等にかかわらず六か月間は無条件に支払われるもので、実質的には労働の対価である賃金と評価できるものであること、代理店契約を内容とする第一回ないし第二回基本契約書には、結局原告が納得せず署名押印しなかったこと、当初の売上はわずか四万円であり、これが全額経費に使用されたとしても不自然ではないこと、原告は、日本の法律知識を有している訳ではなく、「総代理」の意味内容を正確に認識していたとは到底考えられないこと等に鑑みると、前記の各事実は、原告が引き続き被告の従業員であったことを否定するものではないというべきである。

(二)  しかしながら、原告は、平成八年四月二二日ころ日本に帰国した際、代理店契約をその内容とする第三回基本契約書(同年四月一日付け)に署名押印し、それ以降は、被告の製品をその代金を支払って受け取り、上海に送付する方式で販売活動を行うようになったというのであるから、それ以降、原告は、独立の代理店として、被告製品の販売活動を行うようになったというべきである。そして、原告もこれを認識していたことは、原告が、同年四月一二日に被告に商品送付を依頼したファックス文書(〈証拠略〉)において、社長が広告宣伝費をあまり払いたくない気持はよく分かる、これからは広告宣伝費は不要であり、商品代金は現金で支払う、売り先の情報は提供しない等と述べていることから明らかである。

したがって、原告は、平成八年四月二二日には、被告を退職したというべきである(なお、第三回基本契約書が作成された日時は証拠上明らかでないが、前記認定によれば、原告は、少なくとも日本に帰国した平成八年四月二二日以降は、独立の代理店であるとの認識において販売活動を行うようになったというべきであるから、原告の退職の日も、右日時と解すべきである。)。

(三)  以上によれば、原告は、平成七年一二月一一日以降平成八年四月二二日までは、被告の従業員として、その指揮監督下で労務を提供していたというべきであるから、被告は、原告に対し、その間の賃金(平成七年一二月二〇日までは月額二五万円、それ以降は月額二二万円)を支払う義務があるというべきである。また、賃金は、労基法二四条一項が定める全額払原則により、原則として、使用者において一方的に相殺したり、控除したりすることは許されないというべきであるから、被告は、原告の平成七年一二月分の賃金から控除した法人設立費用六万円及び経費精算金一万二七五五円についても、支払義務を負う。

二  争点2(乙山によるセクハラ等)について

1  香港出張中の行為について

(一) 証拠(〈証拠略〉、原告本人、被告代表者本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、乙山は、原告を伴って香港に出張した平成七年一〇月二三日ころ、セーフティボックスの開け方が分からないと言って原告をホテルの自室に呼び、セーフティボックスを開けさせたこと、その際、原告が在室しているにもかかわらず、ズボンのベルトをゆるめ、ズボンをずり降ろして下着をあらわにし、財布等を入れているキャッシュベルトを取り出したことが認められる。

(二) しかしながら、右乙山の行為は、確かに、近くにいた原告に不快感を与える行為であり、無神経な行為として非難されるべきではあるものの、このような性的不快感を与えるに過ぎない行為は、これが不法行為と評価されるためには、右行為が、原告に対し性的不快感を与えることをことさら意図して行われたものであることを要するというべきである。しかしながら、右行為を、乙山がかかる意図をもって故意に行ったことを認めるに足りる証拠はないから、これが不法行為を構成するとする原告の主張は理由がない。

なお、原告は、その後被告が原告に対し倉庫業務を命じたことが、原告が被告のセクハラを咎めたことに対する嫌がらせであると主張するが、乙山の前記行為と、原告が倉庫業務を命ぜられたことが関連すると認めるに足りる証拠はない。

2  上海滞在中のホテルにおける行為について

(一) 証拠(〈証拠略〉、原告本人、被告代表者本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、乙山は、原告とともに上海に滞在していた平成七年一二月中旬ころ、営業活動を終えた後の夕刻、滞在先のホテルの自室において原告と打ち合わせをしていた際、ベッドに横になり、ベッドの空いている部分を手で叩き、原告に対しそこに横になれという態度を示したこと、原告がこれを無視する態度を示すと、乙山は、右行為を直ちに中止したことが認められる。

被告は右事実を否定し、被告代表者本人もかかる事実はなかった旨供述するが、この点に関する原告本人の供述は具体的かつ詳細であり、不自然な部分は全くなく、また、事実を誇張又は歪曲していると思われる部分も見当たらないから、信用できるというべきであり、これに反する被告代表者本人の供述は信用できない。

(二) 右乙山の行為は、社長である乙山が、女性であり、かつ一従業員にすぎない原告とホテルの一室で二人きりでいる状況のもとで、明らかに原告をベッドに誘うような行動をとったものであって、社長と一従業員という両者の関係、ホテルの一室で二人きりであったという状況等に鑑みると、右行為は、原告に対し、雇用契約上の地位を利用して性的関係を求めた行為として、いわゆるセクシャル・ハラスメントに該当し、不法行為を構成するというべきである。

3  上海滞在中の乙山の発言について

原告は、上海滞在中であった平成七年一二月中旬ころ、顧客を交えての夕食の席上、乙山が「甲さん、昨晩あなたはどうやって私の部屋に入ってきましたか。」と回りに聞こえるような声で言ったと主張し、これが原告に対する不法行為を構成する旨主張する。しかしながら、性的不快感を与える発言は、常に不法行為となるのではなく、これが雇用関係上の地位を利用し、ことさら性的不快感を与えたり、あるいは性的関係を強要したりした場合に不法行為となると解すべきところ、仮に事実が原告主張のとおりであるとしても、右発言がいかなる趣旨でなされたものか明らかでなく、これが雇用関係上の地位を利用し、ことさら性的不快感を与えたり、あるいは性的関係を強要したりする意図でなされた発言であるとまでは認められない。したがって、右発言が不法行為を構成するとする原告の主張は採用できない。

4  その他の乙山による原告に対するいじめについて

原告は、その他にも、被告による新しい契約書への署名強要、上海での営業活動に関する得意先の拒否や商品供給の誤り等の嫌がらせが不法行為を構成すると主張する。しかしながら、被告が原告に対し新しい契約書への署名を求めたことは前記認定のとおりであるが、これが、原告の自己決定権を侵害するような態様で強要されたことを認めるに足りる証拠はないし(現に、原告は、第一回及び第二回基本契約書への押印は拒絶している。)、その他原告が主張する嫌がらせについても、いずれも、故意に原告を困惑させることを目的として行われたものであることを認めるに足りる証拠はないから、いずれも、不法行為を構成するものとは認められない。

5  慰謝料について

以上のとおり、乙山の前記2記載の行為は、原告に対する不法行為を構成するというべきところ、右は、乙山がその社長としての地位を利用して行ったもので、被告の職務に密接に関連する行為であるから、民法四四条、商法七八条二項及び二六一条三項により、被告は、右行為により原告の蒙った損害を賠償する責任がある。

そこで、原告の蒙った損害について検討すると、乙山の行為は、不法行為を構成するものの、乙山は手の動きでベッドに誘うような行為をしただけであって、原告の身体に触れたこともなく、また、原告が誘いに応じないと分かると、直ちに右行為をやめたことに照らすと、その違法性の程度はそれほど高くないというべきであるから、原告が蒙った精神的損害に対する慰謝料の額は、一〇万円が相当である。

三  争点3(被告が原告に対し製品代金の請求をすることができるか。)について

1  前述したとおり、原告は、平成八年四月二二日までは被告の従業員であったというべきであるから、被告がそれまでに原告に交付した製品の代金を原告に請求することはできないというべきである。一方、右期日(平成八年四月二二日)以降は、被告は、第三回基本契約書に基づき、原告に対し製品を売り渡していたというべきであるから、原告は、その代金を支払う義務がある。

なお、この点については、第三回基本契約書(〈証拠略〉)の当事者は上海強運歯材有限公司ではないかとの疑問もあるが、右契約書本文では当事者は原告個人とされており、署名押印部分にのみ上海強運歯材有限公司の名称が用いられているものの、その代表者の記名押印があるわけでもなく、原告の個人印が押印されているだけであること、請求書(〈証拠略〉)の宛先もすべて原告個人とされていること、原告も、ファックス文書(〈証拠略〉)において原告個人名を用いており、法人名を用いた形跡がないこと等に照らせば、第三回基本契約書の当事者は原告個人であって、法人名はその肩書に過ぎないものと解すべきである。

2  そこで、被告が原告に対し請求することのできる金額について検討すると、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、原告に対し、平成八年四月二四日、イソレジンH#7ライブピンク一〇キログラム(一万四〇〇〇円)、モデルフォーマー徳用フルセット二点(五七〇〇円)及びコロンビウムタイプⅡ七キログラム(四万九〇〇〇円)を、同月二六日、コロンビウムタイプⅡ五キログラム(三万五〇〇〇円)をそれぞれ売り渡したことが認められるから、原告は、被告に対し、右代金計一〇万三七〇〇円を支払う義務がある。

四  結論

以上の次第であるから、原告の請求は、被告に対し、平成七年一二月分の未払賃金合計一四万二七五五円、同年二月分ないし五月分(原告の給料は毎月二〇日締めであるから、四月分に加え、五月分も二日間〔四月二一日及び二二日〕の賃金請求権がある。)の未払賃金計六七万四六六七円(計算式二二万円×三+一万四六六七円)並びに慰謝料一〇万円の合計九一万七四二二円並びに遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は棄却し、被告の反訴請求は、原告に対し、一〇万三七〇〇円の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は棄却することとする。なお、被告の求める仮執行宣言は相当でないから付さない。

(裁判官 谷口安史)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例